少年時代から手先が器用な方で、ゲームをするより「何か」を作っている時間の方が多かったな…と昔を懐かしむ、kobayashi(parking@ace)です。
少年時代よく通った駄菓子屋に近いプラモ屋は、小学生男子向けのアンテナショップ
小学生の頃…10円くじ(一位などの特賞はでっかいヘビやコウモリで、順位が低い下の賞は小さなトカゲやゲジゲジのくじ)や、パッチを買い集めるため、熱心に小銭を握りしめ…駄菓子屋のような…近所のプラモ屋に通っていました。
アーケードのゲームなど、自分はやらないけど…後ろで眺めて特徴的なキャラクターに興味を抱いたりしていました。そんな中、テレビ番組「RCカーグランプリ」が、にわかに小学校男子のハートを賑わせはじめました…。
漫画化…テレビ化…ゲーム化は、当時のブームづくりの王道ラインでした
ジャンプやマガジンを読み始める前は…コロコロコミックやボンボンが、少年漫画の入り口だったんじゃかなと勝手に記憶しております。ミニ四駆ブーム夜明け前…もしくは、もうブームがきていたかもしれませんが…「ダッシュ!四駆郎」はサンダードラゴン以降のミニ四駆ブームに大いに貢献したのではないかと思います。
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また、フランコ・ミナコ・ハカセなどの登場人物が記憶に深い…ボードゲームのファミコンソフト「レーサーミニ四駆 ジャパンカップ」は、ゲームをあまり好んでやらなかった自分が…かなりハマって友達と遊んでいました。
ダッシュ!四駆郎の影響力は、僕の中では大きかった…
ミニ四駆本体を買って終わりじゃない…ギアや、シャフト…モーター・ホイール・ローラーなどカスタムパーツが豊富にあり、少年心を大いにくすぐりました。
電池は充電できるという事を知ったのもこの頃です。コースで走らせる公式のレースでは一番早い「ハイパーダッシュモーター」の使用を禁止していたという話を聞いても…家の前の車通りの少ない車道(昔の話です)をメインにミニ四駆を走らせる僕には、なんのことやらと特に気に留めませんでした。…あまりパーツを買えないから…。
シャーシやボディの軽量というストイックな手段で、速いミニ四駆を改良させる事に夢中でした。お気に入りはもちろん四駆郎のメインマシン「ダッシュ1号・皇帝(エンペラー)」でした。
彫刻刀は、僕の一番のカスタムツールでした
小学生の頃、図工の版画の時間によく使っていた「彫刻刀」。何かを見たか…誰かに聞いたか今ではわかりませんが、シャーシやボディに…軽量を目的として、穴を開けまくりました…見た目も良くなるよう、均等に…キレイに…。
お気に入りのエンペラーは速かった…もっと速く、もっと速くなるようにと…ビキニばりの最小面積まで穴を開けまくって…いつものように家の前の車道で誇らしげに、友人たちと走らせました…「速い、いい感じだ」…と、ドヤ顔になろうとした僕の表情は…一気に曇りました。
道路には歩道との間に必ず縁石があります。いつもはそんな障害物にもローラーで対応していましたが…。
縁石にぶつかり大破しました…一瞬の出来事でした
ビキニをまとった僕のエンペラーは、速くなった分…障害物にぶつかった時の衝撃は大きくなり、車体の耐久性もとても弱くなっていました。そうです、諸刃の剣です。縁石にぶつかり…花火が打ち上がったように一瞬で散った僕のエンペラー。
この頃は「儚い」という言葉を習っていなかったかもしれませんが…初めて「儚い」という言葉を知った時、この一瞬の花火の光景を鮮烈に思い出しました。身をもって学ぶとはこのような事でしょうかね。。
数十年の時を経て…
年月が過ぎ…娘と電器屋さんのおもちゃコーナーでミニ四駆を見つけて…ミニ四駆には興味のない娘に別のところへ行こうと手を引っ張られながら…ミニ四駆コーナーを物色、当時を懐かしんでエンペラーを買おうとしましたが、バーニングサン(少年時代も使っていました)の方が、今ではなんとなくかっこよく見えたので…買って帰り、懐かしみながら…娘と一緒に組み立てました。